
(プレゼンの準備をする梅さん)
火曜日に教職関係のプレゼンをし、
金曜日に経営戦略のプレゼンをする。
土日月は教職のプレゼンの準備をし、
水木は経営戦略のプレゼンの準備をする。
大局的に見れば、同じことを繰り返しているだけの、何の面白みもない毎日。
けれど局所的に見てみれば、やっていることはいつも違う、面白い毎日。
物事を大きく見すぎるのも考えものだ。
毎日を楽しむには、まず目先のことにこだわること。
大きなことは後から考えればいい。
ネギの感想はまたいずれ書くということで少々放置。
今日は明日のプレゼンの準備をしなければなあと思いつつ、JAVAでSRPG作る方法探してました。
2ちゃんねるやら関連サイトやらをぐるぐる回って、結局たどり着いたのは、JAVAじゃなくてDirectXとかC++で作ったほうが良くない?という結論でした。
せっかくJAVAの勉強をしたんだから、JAVAで何か作りたい。
そういう気持ちは間違いなくある。僕が作ろうとしているのは、JAVAでも十分処理できるレベルのゲームだと思うからだ。
けれども先のことを考えると、やはり他の言語を学んだほうがいいのかなあって不安になる。
明日にでも本を借りてこようかな。
一方プレゼンのほうも考えなければならない。
僕は基本的に一つずつしか思考できないたちで、一日の大半は創作について考えながら過ごしている。
創作について考える合間にプレゼンやらJAVAのことやらを考えるのだから、そりゃー効率がめいっぱい悪い。
そして、やたらに火付きが悪い。やりはじめれば2時間で終わるであろうプレゼンの準備も、やり始めるまでに5時間くらいかかってやっと始める。
なんとも火付きの悪い話。まあ、明日の昼ごろから始めることにしようか。
ところで以前ダーウィンについての本かWIKIかで読んだのだが、ダーウィンは進化論に気付いた後、10年以上まさに亀のようにちまちまと本を書いていた。
そして死ぬまでに発刊できないんじゃないかという速度で彼が執筆していたおりに、ウォレスという若者が彼の進化論と似た論文を学会で発表しようとしているのを知り、先を越されてなるものかと、急いで論文を仕上げて発表したという。
なんだか親近感が沸く話。ちまちましているところもそうだが、作っているうちに似たような話が出てくるという部分も、僕の作っている創作に通じる。
4年前からほそぼそと暖めている作品だが、某○○○○○に似ているところもあるし、○○○○○○ぽいと思うところもある。
まあ、同じ時代に生きている以上、社会になんかしら問題提起しようと作品を作ればこうなるのはわかっていたけれどね。
やはり世の中は先に出したものの勝ち。作品がまとまり始めたら、どうにか世の中に発信する方法を考えないとな。
これはJAVAのプログラムにも言えることかもしれないね。
今日は明日のプレゼンの準備をしなければなあと思いつつ、JAVAでSRPG作る方法探してました。
2ちゃんねるやら関連サイトやらをぐるぐる回って、結局たどり着いたのは、JAVAじゃなくてDirectXとかC++で作ったほうが良くない?という結論でした。
せっかくJAVAの勉強をしたんだから、JAVAで何か作りたい。
そういう気持ちは間違いなくある。僕が作ろうとしているのは、JAVAでも十分処理できるレベルのゲームだと思うからだ。
けれども先のことを考えると、やはり他の言語を学んだほうがいいのかなあって不安になる。
明日にでも本を借りてこようかな。
一方プレゼンのほうも考えなければならない。
僕は基本的に一つずつしか思考できないたちで、一日の大半は創作について考えながら過ごしている。
創作について考える合間にプレゼンやらJAVAのことやらを考えるのだから、そりゃー効率がめいっぱい悪い。
そして、やたらに火付きが悪い。やりはじめれば2時間で終わるであろうプレゼンの準備も、やり始めるまでに5時間くらいかかってやっと始める。
なんとも火付きの悪い話。まあ、明日の昼ごろから始めることにしようか。
ところで以前ダーウィンについての本かWIKIかで読んだのだが、ダーウィンは進化論に気付いた後、10年以上まさに亀のようにちまちまと本を書いていた。
そして死ぬまでに発刊できないんじゃないかという速度で彼が執筆していたおりに、ウォレスという若者が彼の進化論と似た論文を学会で発表しようとしているのを知り、先を越されてなるものかと、急いで論文を仕上げて発表したという。
なんだか親近感が沸く話。ちまちましているところもそうだが、作っているうちに似たような話が出てくるという部分も、僕の作っている創作に通じる。
4年前からほそぼそと暖めている作品だが、某○○○○○に似ているところもあるし、○○○○○○ぽいと思うところもある。
まあ、同じ時代に生きている以上、社会になんかしら問題提起しようと作品を作ればこうなるのはわかっていたけれどね。
やはり世の中は先に出したものの勝ち。作品がまとまり始めたら、どうにか世の中に発信する方法を考えないとな。
これはJAVAのプログラムにも言えることかもしれないね。
今日はナギさんから一言あるようです。
「アル・・・お前いつから山田に」
感想終わります!?
「アル・・・お前いつから山田に」
感想終わります!?
「もう気にしないことだよ」
最近までブログで気取った風な文体を書くのに抵抗があった僕ですが、それは自分の良さを出せない枷じゃない?って思い始めた。 まーそもそも気取った文体が僕の良さでもないと思うんですが、気取らない文体はもっと自分じゃないだろうということにいまさらながーら気付いた。
あなたの好きなブロガーはどんな顔をしていますか?
その一因がまなめさんのブログ。
>私がサイト運営を楽しくやっていれば、楽しくなりたいと思っている人が集まるものだと思うんです。逆に、怒っている人の書いた記事のまわりには怒っている 人が集まるんだと思うんです。ブログは想いを強くすることのできる場所です。だったら、前に向かって笑顔で走りましょうよ。
この四文が心にザクッと来たっ。
自分の実現したい想いを、ブログにぶつければいいのだ。
そしてその表現方法が、敬語でなければならないとか、気取った風でなければならないとか、理論的でなければならないとか、文字でなければならないとか、そんな規制はないんだよね。
一番自分を出せるカタチで、ブログを作ること。大事なのはそれだけじゃないかって。
想う。
敬語を混ぜて書いて、現実の自分の穏やかな語り口を表現しようとしても、それは無理でした。
文字で表現できる内容には限界があって、顔を合わせて会話するようには文字は書けない、伝達できない。
だったら自分の一番ストレートな言葉を書いていくのが最善策なんじゃないのかなあ。
着飾った言葉は波風立てずに多くの人の間をすり抜けるけど、ストレートな言葉はぶつかりながらも誰かの耳に届くと想うから。
最近までブログで気取った風な文体を書くのに抵抗があった僕ですが、それは自分の良さを出せない枷じゃない?って思い始めた。 まーそもそも気取った文体が僕の良さでもないと思うんですが、気取らない文体はもっと自分じゃないだろうということにいまさらながーら気付いた。
あなたの好きなブロガーはどんな顔をしていますか?
その一因がまなめさんのブログ。
>私がサイト運営を楽しくやっていれば、楽しくなりたいと思っている人が集まるものだと思うんです。逆に、怒っている人の書いた記事のまわりには怒っている 人が集まるんだと思うんです。ブログは想いを強くすることのできる場所です。だったら、前に向かって笑顔で走りましょうよ。
この四文が心にザクッと来たっ。
自分の実現したい想いを、ブログにぶつければいいのだ。
そしてその表現方法が、敬語でなければならないとか、気取った風でなければならないとか、理論的でなければならないとか、文字でなければならないとか、そんな規制はないんだよね。
一番自分を出せるカタチで、ブログを作ること。大事なのはそれだけじゃないかって。
想う。
敬語を混ぜて書いて、現実の自分の穏やかな語り口を表現しようとしても、それは無理でした。
文字で表現できる内容には限界があって、顔を合わせて会話するようには文字は書けない、伝達できない。
だったら自分の一番ストレートな言葉を書いていくのが最善策なんじゃないのかなあ。
着飾った言葉は波風立てずに多くの人の間をすり抜けるけど、ストレートな言葉はぶつかりながらも誰かの耳に届くと想うから。
僕は普段、周りの人に対し愚痴をこぼさない。
他人の愚痴は聴くが、自分からはこぼさない。
これは俺のポリシーだ。
常に前向きに未来のことだけを考えるという、遠い昔からずっと続けてきている、ポリスィー、だ。
それでも日々の暮らしの中で、少しずつストレスが溜まっていくことはよくある。
それらのストレスは少しずつ僕の心に溜まって、胸の奥を締め付け、気がついた時には余裕がなくなって、まわりの視線を気にし、睡眠時間が増えている。
僕の場合悪い流れは常にこうして始まる。
睡眠時間の増加はBADSTORYの兆候。
そこから無力感と虚無感を感じ、憂鬱が始まっていくのだ。
そして今、少しずつ睡眠時間が増えてきている。
グレート!間違いなく暗い未来へ突き進んでいるぜ。
しかし立ち止まって、悪い未来の訪れをただ待っているようなタマでもない。何事にでもやりようはあるってもんだ。
他人の愚痴は聴くが、自分からはこぼさない。
これは俺のポリシーだ。
常に前向きに未来のことだけを考えるという、遠い昔からずっと続けてきている、ポリスィー、だ。
それでも日々の暮らしの中で、少しずつストレスが溜まっていくことはよくある。
それらのストレスは少しずつ僕の心に溜まって、胸の奥を締め付け、気がついた時には余裕がなくなって、まわりの視線を気にし、睡眠時間が増えている。
僕の場合悪い流れは常にこうして始まる。
睡眠時間の増加はBADSTORYの兆候。
そこから無力感と虚無感を感じ、憂鬱が始まっていくのだ。
そして今、少しずつ睡眠時間が増えてきている。
グレート!間違いなく暗い未来へ突き進んでいるぜ。
しかし立ち止まって、悪い未来の訪れをただ待っているようなタマでもない。何事にでもやりようはあるってもんだ。
ビーバップハイスクールで聞いたことがある。
愚痴をこぼすことはストレスを取り除く上で非常に有益であると。
例えば政治家は秘書に愚痴をこぼす。それによって政治のストレスから身を守っているのだという。政治家は自身のストレスを発散するために秘書を雇っているようなものだのだと。
なら、僕も誰かに愚痴をこぼせばいい。
確かに胸の奥でモヤモヤしているなんらかのムカツキを、外に出すことで、気持ちがすっきりするというのはある。
あのプレゼンが上手くいかなかったのは、準備に二時間しかかけていなかったからだとか、二人で180分スピーチするのはそもそも無理だとか、忘れっぽいお前よ、お前の趣味は旅行だろう、なぜそれをそこで言わないとか、くだらないことをつれづれとこう書き出すだけでも心持ちスッキリするのだもの。
だけどしかし。それを他人に向けてやるとすると、ちょっと気が引けてしまう。
もし無理やりにやろうとしても、不可能なのだ。僕の心の奥に嵌められている太い枷のようなものが、僕の動きを束縛する。それは生きてきてから今までずっと僕を縛り付けている枷だから。はっきりと認識することのできる、とても太い枷だから。
この枷が何を意味するのか、僕は既に回答を見つけ出してはいるが、それはまだここでは明かさない。
そして例えその枷の正体を認識しても、僕はそれをはずそうとは思わない。
なぜなら、その枷自体が僕を形成している精神の一部であることを、僕は既に知っているからだ。
それを壊すとなると、これはもう環境を劇的に変える外ない。
そして人は、安心と安全に対する欲求を少なからず持っている。
もし僕が枷をはずすということは、解放するということは、この安心と安全の欲求を自ら脅かすということだ。
そんなことは、まだできない。今はまだ準備ができていない。幸運なことに僕は、飛び立つための準備をする期間を与えられている。幸運なことに。
理性が本能をおし止めているように、僕の超理性(枷のことをここではこう呼ぶ)が、破滅への本能をおし止めている?
閑話休題。
なにせよこの方法は使えない。
愚痴は、こぼせないのだ。
くぅ、愚痴をこぼすのがこんなに難しいことだったとは思わなかったぜ!どうなってんだ俺の身体は!?
何か恐ろしいものの片鱗が、俺の身体に巻きついている!?
ところが解決法はあっさり見つかる。
ようは紙に書けばいいのだ。紙がなければブログでもいい。
例えば今、こうして文字を書いて自己表現をすることで、僕は自分の中のストレスを全く綺麗に取り除くことができる。
なぜかはわからないがそういう星のもとに生まれてきたらしい。
こーゆー人、他にもいっぱいいそうだけどね。
というわけで、スッキリしたので今日のところはここで終了。
いつかまた機会があれば奇妙な日記をつけてみたい。
追記。
ジョジョを40巻まで読みました。
名前のセンス、台詞のセンスにビビッときました。単純にすごい。
2ちゃんねるで使われてるのは主に三部までの台詞なんですかね。ドイツの〜は世界一ーとか、ありのまま起こったことを〜はやはり目に残る。
第四部は先が全く見えませんが、どうまとめるのか興味深く見ています。DIOは出てくるのか!?など。だた少し長すぎるのではとも思いつつ・・・。
ツッコミ、感想などなど、なにか一言ありましたらどうぞ!
木曜日にレスします!
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あまり更新しているわけでもないのに毎日見てくれている方、トラバしてくだる方、ありがとうございます。
更新することで何とか報いたいと思いつつも、なかなか時間がとれず立往生しています。ただの日記を乗せてもつまらんしねえ。
そんななかで、ちょっと野球漫画について書いたメモがあったので、こいつに少し書き加えて乗せます。
書いた動機は、最近のマガジンの野球漫画、面白くねえなあです。
更新することで何とか報いたいと思いつつも、なかなか時間がとれず立往生しています。ただの日記を乗せてもつまらんしねえ。
そんななかで、ちょっと野球漫画について書いたメモがあったので、こいつに少し書き加えて乗せます。
書いた動機は、最近のマガジンの野球漫画、面白くねえなあです。
最近野球漫画が面白くない、と思う。
もちろんMAJORのように長期連載しているものや、大きく振りかぶってのように各キャラクターを細かく描写する作品は別として、主にマガジンの野球漫画、これらがよくない。
野球漫画の代名詞である巨人の星が連載されてからでも40年(それ以前にもあったのだと思いますが、どうなんでしょう)。ともかく、もはや試合の中での展開は出尽くした感がある。
例えばMAJOR43巻の、キャッチャーからの送球をセカンドがスルーし、センターがキャッチするというトリックプレー。昔マガジンで連載されていたあきらとぶの単行本6巻に似たようなプレーがある。
ちょっとトリッキーなやりとりをしても、既視感の漂うものが多いのに、王道の展開となればなおさらだ。
例えば先々週から先週にかけての花形では、0対2で負けていてランナー1,2塁バッター花形。
どう考えてもホームランは予測できた。そして実際にホームランを打って逆転。
あまりにも普通すぎて何の感動もなかった。
野球漫画を多く知っていればいるほど、今の野球漫画が楽しめなくなるという、野球好きには不幸な時代。
野球漫画の進む道は四つあるんじゃないかと思う。
ひとつは、MAJORのように、長い時間の流れを描く方法である(MAJORなど、父親の姿から子供時代、中学高校大人まで描いている)。
しかしこの方法で作品を書いても、現在では成功できないと思う。
長い歴史を描くような漫画の場合、大抵どこかで緩みというか、だれた展開が出てくるはずである(それがなかったら、作者を天才と呼ぶしかない)。
そして現代、漫画の世界は人気がすべてで、漫画がそういうだれた展開に陥ってしまった場合、よほど面白い作品でない限りは、打ち切られてしまうだろう。
なら、面白ければいいじゃないかと思われるかもしれないが、前述したように野球の展開はほとんど全てが出尽くしていて、何をしてもかつての人気野球漫画と比べられ、パクリだと印を押されてつぶされてしまうのではないかと思うのだ。
さらに最大の問題は、MAJORがあることである。今後どんな野球漫画が長い歴史を描いても、MAJORのパクリで終わってしまう可能性は捨てきれない。
*類型:俺キャプ、ドカベン
二つ目は、大きく振りかぶってで見られるように、詳細な心理描写をまじえてストーリーを描いていく方法である。
巧みな心理描写をまじえると、これはもう見飽きようがない。
なぜならどんなに似たような真理を描こうとも、心の描き方は各作者によってまちまちに決まっているからである。(物事をあなたとまったく同じように考える人に、出会ったことがありますか?)
ただしこの方法には弱点がある。
「半端なく時間がかかる」ということである。
福本漫画を参考にしてもらえればわかってもらえると思うが、漫画で各キャラクターの心理を詳しく書こうとすると、牌をひとツモするだけで一週間が終わる、そんな進行速度になってしまう。
まして月刊誌でこれをやろうとすると、何年かかるのか見当もつかない(その点、大きく振りかぶっての作者はものすごいチャレンジャーだと思う)。
これだけの時間がかかるのだから、途中で作者の熱が冷めてしまうという可能性がある。やりきるためには強靭な精神力が必要になるだろう。それがこの型の問題である。
*類型:Dreams、ルーキーズ
三つ目は、野球に関係し、読者をハッとさせる知識をとにかくちりばめていく方法である。
とはいえ、これは多くの作品で土台を支える方法として使われている。
例えばMAJORのジャイロボール理論、先週のダイヤのAでのグローブを持つ方の腕、おおふりでのリラックス理論などがそうである。
前述の既視感を取り除くためのひとつのアイデアとしてはあるが、これ単体で漫画を作ろうとすると、どこかで行き詰るだろう。
あくまでも補助として活用するのが望ましいと思う。
そして最後の四つ目は、無茶な設定や人間離れしたプレイを魅せる方法です。
つまり既視感を取り除くため、これまで見たことのないようなキャラクターを創造して、そいつらに野球をやらせるという方法だ。
有益な点は、読者も先の展開が予測できないこと、作者の想像力を十分に発揮できることがあげられる。
弱点としては、あまりにも展開が突飛過ぎて野球漫画でなくなってしまうことがあるが、まあ大抵こういう漫画はエンターテイメント性があればよい(究極的にはギャグ漫画)と思うので、そこはあまりこだわるべきではないだろう。
ようは馬鹿げたキャラクターが、なぜか野球のルールに乗っ取って試合をしているという、このギャップが楽しいのである。
楽しみ方を間違うと、まるで面白くないと言って切り捨てるだけになるだろう。
ミスターフルスイング(私は読んだことないが)を嫌っている人の中には、そういう人もいたように思う。
*類型:ミスフル、あきらとぶ、地獄甲子園、テニプリ
マガジン連載の野球漫画たちにもっとぶっ飛んだ野球をやってもらいたいと願いをこめながら、今回はこの辺で。
もちろんMAJORのように長期連載しているものや、大きく振りかぶってのように各キャラクターを細かく描写する作品は別として、主にマガジンの野球漫画、これらがよくない。
野球漫画の代名詞である巨人の星が連載されてからでも40年(それ以前にもあったのだと思いますが、どうなんでしょう)。ともかく、もはや試合の中での展開は出尽くした感がある。
例えばMAJOR43巻の、キャッチャーからの送球をセカンドがスルーし、センターがキャッチするというトリックプレー。昔マガジンで連載されていたあきらとぶの単行本6巻に似たようなプレーがある。
ちょっとトリッキーなやりとりをしても、既視感の漂うものが多いのに、王道の展開となればなおさらだ。
例えば先々週から先週にかけての花形では、0対2で負けていてランナー1,2塁バッター花形。
どう考えてもホームランは予測できた。そして実際にホームランを打って逆転。
あまりにも普通すぎて何の感動もなかった。
野球漫画を多く知っていればいるほど、今の野球漫画が楽しめなくなるという、野球好きには不幸な時代。
野球漫画の進む道は四つあるんじゃないかと思う。
ひとつは、MAJORのように、長い時間の流れを描く方法である(MAJORなど、父親の姿から子供時代、中学高校大人まで描いている)。
しかしこの方法で作品を書いても、現在では成功できないと思う。
長い歴史を描くような漫画の場合、大抵どこかで緩みというか、だれた展開が出てくるはずである(それがなかったら、作者を天才と呼ぶしかない)。
そして現代、漫画の世界は人気がすべてで、漫画がそういうだれた展開に陥ってしまった場合、よほど面白い作品でない限りは、打ち切られてしまうだろう。
なら、面白ければいいじゃないかと思われるかもしれないが、前述したように野球の展開はほとんど全てが出尽くしていて、何をしてもかつての人気野球漫画と比べられ、パクリだと印を押されてつぶされてしまうのではないかと思うのだ。
さらに最大の問題は、MAJORがあることである。今後どんな野球漫画が長い歴史を描いても、MAJORのパクリで終わってしまう可能性は捨てきれない。
*類型:俺キャプ、ドカベン
二つ目は、大きく振りかぶってで見られるように、詳細な心理描写をまじえてストーリーを描いていく方法である。
巧みな心理描写をまじえると、これはもう見飽きようがない。
なぜならどんなに似たような真理を描こうとも、心の描き方は各作者によってまちまちに決まっているからである。(物事をあなたとまったく同じように考える人に、出会ったことがありますか?)
ただしこの方法には弱点がある。
「半端なく時間がかかる」ということである。
福本漫画を参考にしてもらえればわかってもらえると思うが、漫画で各キャラクターの心理を詳しく書こうとすると、牌をひとツモするだけで一週間が終わる、そんな進行速度になってしまう。
まして月刊誌でこれをやろうとすると、何年かかるのか見当もつかない(その点、大きく振りかぶっての作者はものすごいチャレンジャーだと思う)。
これだけの時間がかかるのだから、途中で作者の熱が冷めてしまうという可能性がある。やりきるためには強靭な精神力が必要になるだろう。それがこの型の問題である。
*類型:Dreams、ルーキーズ
三つ目は、野球に関係し、読者をハッとさせる知識をとにかくちりばめていく方法である。
とはいえ、これは多くの作品で土台を支える方法として使われている。
例えばMAJORのジャイロボール理論、先週のダイヤのAでのグローブを持つ方の腕、おおふりでのリラックス理論などがそうである。
前述の既視感を取り除くためのひとつのアイデアとしてはあるが、これ単体で漫画を作ろうとすると、どこかで行き詰るだろう。
あくまでも補助として活用するのが望ましいと思う。
そして最後の四つ目は、無茶な設定や人間離れしたプレイを魅せる方法です。
つまり既視感を取り除くため、これまで見たことのないようなキャラクターを創造して、そいつらに野球をやらせるという方法だ。
有益な点は、読者も先の展開が予測できないこと、作者の想像力を十分に発揮できることがあげられる。
弱点としては、あまりにも展開が突飛過ぎて野球漫画でなくなってしまうことがあるが、まあ大抵こういう漫画はエンターテイメント性があればよい(究極的にはギャグ漫画)と思うので、そこはあまりこだわるべきではないだろう。
ようは馬鹿げたキャラクターが、なぜか野球のルールに乗っ取って試合をしているという、このギャップが楽しいのである。
楽しみ方を間違うと、まるで面白くないと言って切り捨てるだけになるだろう。
ミスターフルスイング(私は読んだことないが)を嫌っている人の中には、そういう人もいたように思う。
*類型:ミスフル、あきらとぶ、地獄甲子園、テニプリ
マガジン連載の野球漫画たちにもっとぶっ飛んだ野球をやってもらいたいと願いをこめながら、今回はこの辺で。
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こういうドタバタコメディになると、ネギま!?は面白いw
相変わらずアスナのイソギンチャクみたいな髪の毛だけは受け入れがたいけどw、そのほかのキャラクターの可愛さは尋常じゃない。
大真面目にボケをかましてくれる刹那。
チュパカブラを渾身の力を入れて描くパル様。
肺活量軽く6000CCはいっているであろうタカミチ(化け物)。
プラモデルを熱く語る裕奈。
理科実験具を溺愛する亜子(見た目から全然想像できないマッドドクターっぽさが良い)。
頭がすこしいってしまっている千鶴さん。
その千鶴に翻弄される夏美(はまり役)。
ネギマニアの委員長とまきえのコンビはピブリオン時代から気に入っていて、この二人を同じ部屋にしてくれた点はアニメ班バンザーイ。
相変わらずクオリティ高い双子。
双子とコンビ組んでおけばもっと出番増えたんじゃないかって思ったが、ヨガしてるところはキャラ立ってた美空。
その横で魚に餌をやるアキラがどこか哀愁漂い・・・。
だいぶ高本さん声に慣れてきて可愛く思えてきた超に、リアクションの声がやたら面白いユエw
それと、本当にすいません、どうしても声色がわざとらしく聞こえてしまい、違和感のある龍宮。だが、愛用の銃を磨く様はとてもカッコよかった。
そしてエヴァンジェリンに操られていたころはどうしちまったんだと心配したが、今週ニマッと笑うところはまさに姉さん、朝倉。
んで、またエヴァンジェリンに助けてもらいました、やたらビジュアルも良く、まさに原作イメージそのままのさよ。
長々と書いてきましたが、みんなの特徴が出ていて、面白い回でした。
それから毎回パクティオーするという法則を打ち破った、今回のパクティオー無し。
最終的にはパクティオーして解決というお決まりパターンを破ったことで、展開に飽きかけていた人たちの流出をつなぎとめ、マンネリ化を防いだという意味でも今回は大きかったかと。
というより、ネギま!?にネオパクティオーカードはいらなかったんじゃないかとまで思えてきた。
こういうコメディーを26回やればよかったんですよ、パクティオーは最終回でまとめてやればおkだろwそう感じてしまった今回のお話でした。
大真面目にボケをかましてくれる刹那。
チュパカブラを渾身の力を入れて描くパル様。
肺活量軽く6000CCはいっているであろうタカミチ(化け物)。
プラモデルを熱く語る裕奈。
理科実験具を溺愛する亜子(見た目から全然想像できないマッドドクターっぽさが良い)。
頭がすこしいってしまっている千鶴さん。
その千鶴に翻弄される夏美(はまり役)。
ネギマニアの委員長とまきえのコンビはピブリオン時代から気に入っていて、この二人を同じ部屋にしてくれた点はアニメ班バンザーイ。
相変わらずクオリティ高い双子。
双子とコンビ組んでおけばもっと出番増えたんじゃないかって思ったが、ヨガしてるところはキャラ立ってた美空。
その横で魚に餌をやるアキラがどこか哀愁漂い・・・。
だいぶ高本さん声に慣れてきて可愛く思えてきた超に、リアクションの声がやたら面白いユエw
それと、本当にすいません、どうしても声色がわざとらしく聞こえてしまい、違和感のある龍宮。だが、愛用の銃を磨く様はとてもカッコよかった。
そしてエヴァンジェリンに操られていたころはどうしちまったんだと心配したが、今週ニマッと笑うところはまさに姉さん、朝倉。
んで、またエヴァンジェリンに助けてもらいました、やたらビジュアルも良く、まさに原作イメージそのままのさよ。
長々と書いてきましたが、みんなの特徴が出ていて、面白い回でした。
それから毎回パクティオーするという法則を打ち破った、今回のパクティオー無し。
最終的にはパクティオーして解決というお決まりパターンを破ったことで、展開に飽きかけていた人たちの流出をつなぎとめ、マンネリ化を防いだという意味でも今回は大きかったかと。
というより、ネギま!?にネオパクティオーカードはいらなかったんじゃないかとまで思えてきた。
こういうコメディーを26回やればよかったんですよ、パクティオーは最終回でまとめてやればおkだろwそう感じてしまった今回のお話でした。
ツッコミ、感想などなど、なにか一言ありましたらどうぞ!
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四月最初のホームルーム活動で、どんな自己紹介をしたらいいだろう。
そんな質問が教職の講義で出て、
僕ともう一人、その講義を受けている子で考えたのですが。
「隣の席の子の似顔絵を描く」
とか、
「隣の子の第一印象を紙に書かせて、そのあと隣の子と話をする時間を作り、その印象があっているか間違っているかを聞かせる」
とか、
「全く前情報のない状態で、生徒に名簿を配り、全員に席を立ってもらって、名前当てゲームをする」
という意見が出て、自分で作ったんだけれども面白いなあーと感じました。
「隣の席の子の似顔絵を描く」というのは、相手の顔の特徴もわかるし、じっと見つめなければ出来ないことだから、自然と会話も出てくるでしょう。それに絵の上手い子はそこで力を発揮して、いい自己紹介になるでしょう。
「隣の子の第一印象を紙に書かせて、そのあと隣の子と話をする時間を作り、その印象があっているか間違っているかを聞かせる」のは、先入観がどれだけ間違っているのかを生徒たちに教えてあげることが出来るし、本当はこうなんだよと会話させることによって、それぞれの子をよく知ることができると思う。
「全く前情報のない状態で、生徒に名簿を配り、全員に席を立ってもらって、名前当てゲームをする」は、名前を覚えるというスキル(社会では結構重要)を磨くのに役立つだろうし、とりあえずでも会話の取っ掛かりを提供できるだろう。また、二週間後くらいにもう一度ゲームをして、どれだけ名前を覚えている子が増えたかを生徒に実感させると、より面白いのではないかということでした。
探せば問題はどんどん出て、実現するには難しい意見もあるでしょう。
けれどもとっぴな意見でも、その中に少しでも使えるところがあれば、どんどん採用していくと良いと思う。試行錯誤を繰り返して、より良いものに作り変えていけばいいのだから。
こういうアイデアを今の段階から考えてストックしていって、社会に出るころにはアイデアマンになっていたい。こういう変な発想をするのは得意のような気がするのです。
そんな質問が教職の講義で出て、
僕ともう一人、その講義を受けている子で考えたのですが。
「隣の席の子の似顔絵を描く」
とか、
「隣の子の第一印象を紙に書かせて、そのあと隣の子と話をする時間を作り、その印象があっているか間違っているかを聞かせる」
とか、
「全く前情報のない状態で、生徒に名簿を配り、全員に席を立ってもらって、名前当てゲームをする」
という意見が出て、自分で作ったんだけれども面白いなあーと感じました。
「隣の席の子の似顔絵を描く」というのは、相手の顔の特徴もわかるし、じっと見つめなければ出来ないことだから、自然と会話も出てくるでしょう。それに絵の上手い子はそこで力を発揮して、いい自己紹介になるでしょう。
「隣の子の第一印象を紙に書かせて、そのあと隣の子と話をする時間を作り、その印象があっているか間違っているかを聞かせる」のは、先入観がどれだけ間違っているのかを生徒たちに教えてあげることが出来るし、本当はこうなんだよと会話させることによって、それぞれの子をよく知ることができると思う。
「全く前情報のない状態で、生徒に名簿を配り、全員に席を立ってもらって、名前当てゲームをする」は、名前を覚えるというスキル(社会では結構重要)を磨くのに役立つだろうし、とりあえずでも会話の取っ掛かりを提供できるだろう。また、二週間後くらいにもう一度ゲームをして、どれだけ名前を覚えている子が増えたかを生徒に実感させると、より面白いのではないかということでした。
探せば問題はどんどん出て、実現するには難しい意見もあるでしょう。
けれどもとっぴな意見でも、その中に少しでも使えるところがあれば、どんどん採用していくと良いと思う。試行錯誤を繰り返して、より良いものに作り変えていけばいいのだから。
こういうアイデアを今の段階から考えてストックしていって、社会に出るころにはアイデアマンになっていたい。こういう変な発想をするのは得意のような気がするのです。
子供の自殺は誰の責任?(日刊スレッドガイド様)
以前から気にしていたネタなので、スレッドガイドに取り上げられたのを気に意見してみようかと。
とはいえいじめる・いじめられる、それに伴う自殺の責任が誰にあるかは、その時々によって変わるので断定して言うことはできない。子どもの性格は千差万別ですからね。
けれども優しい子供の自殺の責任については、100%育ての親にある。
そういう子どもたちは、いじめられている事実を親に伝えない。なぜなら、「親に迷惑がかかるから」「親に心配をかけたくないから」「自分がいじめられていることを知ったら親が悲しむから」。彼らは多くの場合内向的だけれども、その分鋭い洞察力で、人を見ている。
さて、自分がいじめられていることを知ったら親が悲しむ、迷惑をかけたくないから親にいじめは話さないと考えている子どもが、自殺をするということはどういうことだか考えてみよう。
つまり彼らにとっては、いじめられている事実>>>自殺。
彼らは、自分がいじめられていることがばれてなお生きているくらいなら、死んだほうがマシだと考えているのだ。
では、いじめられている事実がばれたとき、誰が一番困る(と子どもたちが考えているの)だろう。それはもちろん親である。
自分の子どもがいらない子扱いを受けているということは、それはそのまま親の経歴に傷がつく(おちこぼれを作り出した〔日本では、子どもを育てるというより作っているという印象が強いのは気のせいか?〕ということで)。
子どもは親に迷惑をかけたくない。
そして子どもたちは、自分たちの親が、経歴だとか外見だとかを一番大事にしていることを知っている。
だからいじめが発覚して親の経歴に傷がつくよりは、自分が死んで「いじめの犠牲者」だと報道されたほうがマシだと考える。
すべては育ての親が悪い。
彼らが、自分の経歴や外見より、子どもたちあなた自身を失うほうがよっぽど辛いのだということを、子どもたちに伝えてこなかったのが悪いのじゃないかな。そう思います。
以前から気にしていたネタなので、スレッドガイドに取り上げられたのを気に意見してみようかと。
とはいえいじめる・いじめられる、それに伴う自殺の責任が誰にあるかは、その時々によって変わるので断定して言うことはできない。子どもの性格は千差万別ですからね。
けれども優しい子供の自殺の責任については、100%育ての親にある。
そういう子どもたちは、いじめられている事実を親に伝えない。なぜなら、「親に迷惑がかかるから」「親に心配をかけたくないから」「自分がいじめられていることを知ったら親が悲しむから」。彼らは多くの場合内向的だけれども、その分鋭い洞察力で、人を見ている。
さて、自分がいじめられていることを知ったら親が悲しむ、迷惑をかけたくないから親にいじめは話さないと考えている子どもが、自殺をするということはどういうことだか考えてみよう。
つまり彼らにとっては、いじめられている事実>>>自殺。
彼らは、自分がいじめられていることがばれてなお生きているくらいなら、死んだほうがマシだと考えているのだ。
では、いじめられている事実がばれたとき、誰が一番困る(と子どもたちが考えているの)だろう。それはもちろん親である。
自分の子どもがいらない子扱いを受けているということは、それはそのまま親の経歴に傷がつく(おちこぼれを作り出した〔日本では、子どもを育てるというより作っているという印象が強いのは気のせいか?〕ということで)。
子どもは親に迷惑をかけたくない。
そして子どもたちは、自分たちの親が、経歴だとか外見だとかを一番大事にしていることを知っている。
だからいじめが発覚して親の経歴に傷がつくよりは、自分が死んで「いじめの犠牲者」だと報道されたほうがマシだと考える。
すべては育ての親が悪い。
彼らが、自分の経歴や外見より、子どもたちあなた自身を失うほうがよっぽど辛いのだということを、子どもたちに伝えてこなかったのが悪いのじゃないかな。そう思います。
コードギアス4話まで見ました。
やはり今期最強候補、面白い。
こういう世界征服タイプのストーリーは、主人公が敵対している相手(主として大国の王だとか官僚だとか)をどんなふうに説得するかが鍵であり、もしも根性論とか情緒に訴える語りかけで説得しようとすれば、「これで説得されるのはありえない」と反感を受けるのがオチなのですが、この作品はギアスの力で敵を操ることにより、そこの不明瞭さを取り払った。
常識的に考えれば強すぎる能力だと思えるが、それがなければ話はもっとわかりにくく、物議をかもし出すストーリー展開になっていただろう。
コードギアスには必須の能力であった。
KANON3話まで見ました。
面白い。前作見たときはこんなに真琴をかわいーとおもったことはなかったぞwこんにゃくワロスw
個人的に一番すきなのは栞ですが、あゆもいい。てか全員いい。これが京アニクオリティの魔力か!
余談ですが、「梅こぶって文字書くの下手すぎじゃない?」、「なんか一方通行な書き方が多いね」と、指摘を受けました。
実際そうだと思うのですよね。自分でもわかっています。
しかし平面媒体の中で意見の多様化を書くと、どうしてもまとまりのない文になっちゃう+文字かいてるときは一方向だけ見て書いてしまう癖があるので、なかなかいろんな意見に目が向かないんです。
今後は少しずつ気をつけていきたいと思います。
やはり今期最強候補、面白い。
こういう世界征服タイプのストーリーは、主人公が敵対している相手(主として大国の王だとか官僚だとか)をどんなふうに説得するかが鍵であり、もしも根性論とか情緒に訴える語りかけで説得しようとすれば、「これで説得されるのはありえない」と反感を受けるのがオチなのですが、この作品はギアスの力で敵を操ることにより、そこの不明瞭さを取り払った。
常識的に考えれば強すぎる能力だと思えるが、それがなければ話はもっとわかりにくく、物議をかもし出すストーリー展開になっていただろう。
コードギアスには必須の能力であった。
KANON3話まで見ました。
面白い。前作見たときはこんなに真琴をかわいーとおもったことはなかったぞwこんにゃくワロスw
個人的に一番すきなのは栞ですが、あゆもいい。てか全員いい。これが京アニクオリティの魔力か!
余談ですが、「梅こぶって文字書くの下手すぎじゃない?」、「なんか一方通行な書き方が多いね」と、指摘を受けました。
実際そうだと思うのですよね。自分でもわかっています。
しかし平面媒体の中で意見の多様化を書くと、どうしてもまとまりのない文になっちゃう+文字かいてるときは一方向だけ見て書いてしまう癖があるので、なかなかいろんな意見に目が向かないんです。
今後は少しずつ気をつけていきたいと思います。
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